オーラの泉

オーラの泉最終回について

終わり良ければ全て良しというが、

終わり悪ければ、

本当にどうしようもないということが、

よくわかった。

内容としては、

面白かったのは、

内藤選手についた生霊について。

息を吐き出させ除霊するも、

内藤選手の前にいるゲストが、

その息がかかるのを、

必死によけている様が、

面白かった。

内藤選手は、

まあ、あのような性格だから、

きっと溜めこんでしまうのだろう。

でも、出した後の変わり様は、

面白かった。

ただ、

全てを台無しに、

今までの全てを台無しにするしめくくり。

美輪さんと江原さんから、

最後に一言ずつということで、

メッセージをもらうという内容だ。

さて、どんな一言を言うのだろうと、

期待していたら、

もう、本当にびっくりした。

なんだそりゃ。

江原さんが、まず、

このオーラの泉という番組を通して、

沢山の人から手紙をもらったということ。

それは、

とても助けられたということ。

美輪さんも同じように、

多くの便りをもらったということ。

自殺を想い止まったとか、

引きこもりをやめられたとか、

とにかくこの番組が、

沢山の人を助けたという内容。

はあ?

あんたら、

何言っちゃってんの?

何それ。

あ~あ、

言っちゃった。

そんなことはですね、

言わなくていいんですよ。

逆に言う必要など、

何もないんですよ。

結局、

自分たちが人を助けたという自慢ですか。

結局、

自分たちの作った番組が、

人を救ったという自慢ですか。

結局、

自分の霊能のおかげで、

多くの人を救ったという自慢でしめくくりですか。

情けない。

あー、

本当に情けない。

霊能をもつ人間が、

こんな低レベルだから、

こんな内容の番組になってしまったのですよ。

恥を知った方がいい。

スピリチュアルな番組なんでしょ?

霊的真理の番組なんでしょ?

スピリチュアルな内容のトーク番組なんでしょ?

それなら、

人を助けるなんてことは、

当たり前であり、

当たり前の内容ですよ。

というより、

スピリチュアルの目的が、

人助けなのだから、

そんなことは言わなくていいんですよ。

言ってはいけないのですよ。

言う必要などないのですよ。

ただひとつ言う意味としては、

自慢ですか。

自己満足ですか。

どうして最後のメッセージに、

そんな当たり前のくだらないことを、

言うのだろう。

情けない。

最後だからこそ、

もっと人の役に立つような内容を、

残せばいいのに。

たとえば、

目に見えるものばかり信じるのではなく、

真実を常に探求することや、

愛を人に与えることで、

自分も愛を受けるとか、

なんでもいいんですよ。

とにかく、

最後の1秒まで、

スピリチュアルな番組であったとしたら、

人の役に立てるようなことをしないと。

もし言っていたとして、

編集されたとしたら、

そんな自慢話などしないで、

そのメッセージだけにすれば良いのです。

そうしたら流れるのだから。

まったく、

最後の最後まで、

自慢話。

傲慢さ。

謙虚のかけらもありゃしない。

髪の毛染めている時点で、

まあ、わかっていましたけどね。

本当にがっかりとはこのことで、

でも、まあ、

人は人ですから、

良いのですが、

しかし、

霊的カウンセラーと名乗っていたり、

スピリチュアルな人間だとか、

もし一言でも言っていたとしたら、

やはり自分の言動にはもっと、

責任をもたなくてはいけないのです。

なぜなら、

霊能を使って、

お金儲けをしているのですから、

それは私利私欲のためではなく、

人々の為に使わないといけないものだからです。

終わるには終わる理由があるので、

最終回らしい最終回だと思いました。

これだけ霊能を使って、

番組を作っているにもかかわらず、

最後は自慢と傲慢でしめくくりだとしたら、

そりゃ終わるだろうなと。

御苦労さまでした。

追伸。

過去のVTRでもやはり、

海老蔵と上戸彩には、

虫唾が走りました。

気持ちが悪い。

|

オーラの泉・最終回らしい

次回でオーラの泉が最終回らしい。

今までのゲストを振り返るらしい。

必ず番組というのは終わりがあるので、

ついに終わりましたかという感想です。

何度もこのブログでは書いていましたが、

私自身は、少し終わるのが遅かった気がします。

もう少し、早く終わらせておけば、

後味も良かったのにと。

最後の方は、

江原さんも随分テレビ慣れしてきて、

また、業界に汚染され、

人というのはここまで変わってしまうのかというような、

感じでしたし、

スピリチュアルトーク番組という名には、

ふさわしくない内容も多かったのが事実です。

実際に、

スピリチュアリズムとは何かを考えた時には、

この番組は適しなくなったという結論になるわけです。

最初の頃は江原さんも使命に燃えて頑張っておられましたが、

美輪さんと業界に、だいぶ汚染され、

俗っぽさがもろに出始めてしまったのが、

残念でなりませんが、

きっと、

人というのはこういう道筋をたどるのだろうなと、

見せつけられたドキュメントでもあった気がします。

人は金を持つと、

心が荒むと言いますが、

本当だなと。

謙虚な心はなくなるのだということが、

良くわかりました。

ただ、

このオーラを見て、

私自身も考えることは多々ありましたし、

個々が個々の学びの中で、存在した番組だったのだろうと、

今は感謝があります。

一体、

最終回はどうなるのでしょうか。

最終回くらいは、

まともなスピリチュアル番組になればと期待しますが、

きっと、

美輪さんの自慢話と、

国分君の敬語の使えない話し方と、

江原さんの言いたいけど言えない含みで、

終わるのではないかと、

そう思う次第ですが、

楽しみにしているわけです。

| | トラックバック (0)

オーラの泉・話し方、聴き方の態度・8月15日

倉本 聰さんは、

霊的に敏感な人だということがわかった。

倉本さんの話は面白かった。

しかし、今回書きたいことは、

倉本さんが良かったとか、

逸見さんの娘の話し方が気持ち悪いとか、

ロザンナがおもろいとか、

そういう話ではない。

このSPを通して、はっきりしたことがあった。

話し方の態度、

人の話を聴く態度の重要性ということだ。

以前から、気になっていたのが、

江原さんの話し方の態度、聴き方の態度だ。

そして国分君の敬語についてだ。

前者から述べると、

断りを入れるとするのであれば、

私は決してアンチ江原さんではなく、

むしろ江原さんが好きという立場で書かせてもらう。

いや、

実は今はどうかと言えば、

好きかどうかは何とも言えない。

しかし、以前は私はとてもファンだったし、

コンサートにも行ったことがある。

9割近い客が女性で、

多少いづらかったことを覚えている。

もう何年も前の話だ。

しかし、最近の江原さんの方向性を拝見すると、

偉そうなことは決して言えるような自分ではないが、

スピリチュアルカウンセラーという、

霊的カウンセラーを名乗っているのであれば、

それはもう名乗らない方が良いという考えだし、

ただの霊能者と名乗れば良いという考えで、

江原さん自身が、

霊的真理を説くというお立場であるにも関わらず、

それを仕事にしているにも関わらず、

ふさわしくない言動が多いために、

最近は疑問を持った次第です。

断り書きが長くなりましたが本題に入ります。

江原さんは、以前から、

ゲストがしゃべっている時に、

美輪さんとヒソヒソ話をしたり、

含み笑いをしたり、

「はいはい、そんなことはわかっていますよ。

見えていますよ私には」と言った、

多少の笑いを含むような相槌や、

返事や、

態度を見せるときが多い。

今回の倉本さんの回にしても、

倉本さんは亡くなられたお父様の匂いが、

今でも忘れらないという。

それに対して江原さんは含み笑いをしながら、

「覚えているだけですか?

覚えているだけですか?」

と、含ませた話し方をする。

倉本さんは、

言わば人生の大先輩であるし、

芸能界でもはるかに先輩である。

そういう年上や年長者に対して、

江原さんは自分が霊的に見えるからと言って、

「はいはい、それで?

あたりまえのことですよ?

あなた何を言っているの?」

というような、態度を多々取るときがある。

これはまことに失礼な態度である。

江原さんも、

今では先生先生と言われる立場である。

江原さんに対して意見を言う人も少ないだろう。

ましてや、態度を注意するなんて人、

周りにはまずいないだろう。

人は、先生先生と呼ばれると、

勘違いしてしまうものだ。

また、

お金が入ってくると、

人の心というのものは、

荒むものだ。

驕り高ぶってしまうものだ。

江原さんは常々著書で、

傲慢をなくすことと書いておられるが、

正直最近の江原さんの態度を見ていると、

謙虚さとは程遠く、

まさに傲慢街道まっしぐらという感じだ。

以前はこのような態度を取る人ではなかったし、

もっと謙虚な人だった。

猫かぶっていたのがはがれたのか、

それとも荒んだのかはわからない。

ただ、

お金ががっぽり入って、

先生先生と、教祖様のように拝まれるようになってから、

本当に言動がおかしくなってきたことは事実だ。

髪の毛も、どうしてしまったのだろう。

金髪に着物とは、

一体何を考えているのだろうか。

日本人としての黒髪を、

何を男が金髪にしているのか。

霊的真理を説くことを仕事にしている人が、

どうして外見にこだわるようになってしまったのか。

このような点から、

霊能者と名乗ってはいいが、

スピリチュアルカウンセラーを名乗り、

霊的真理を説いている人というのは、

もう止めた方がよろしいように思われる。

人が話している時に、

ヒソヒソ話をしたり、

笑いながら聴いていたりと、

小学校の頃、

そういう態度はいけないと注意されなかったのだろうか。

話している相手が、

年下だろうが、

年上だろうが、

本当に失礼な態度だ。

自分が霊視してわかっているのであっても、

それを顔に出さずに、

きちんと話を最後まで聴くのが、

レベルの高いカウンセラーではないのか。

カウンセラーでなくても、

それが大人の話の聴き方ではないのか。

どこか、

自分が霊能者で、

先生先生言われ、

特殊能力を持っていることを鼻にかけ、

本人にその気がなかったとしても、

相手を見下している癖がついてしまっているのではないか。

非常に、悪いお手本である。

ましてや、

年上の大先輩の話を聴く態度ではない。

話し方にしても、

相手を少し馬鹿にしたような話し方をするときが、

多々ある。

スピリチュアルカウンセラーと名乗るのであれば、

それは止めた方がよいだろう。

また、国分君がいつになっても敬語ができていない。

この番組はスピリチュアルトーク番組と謳っており、

その中で、

美輪さんは、ゲストや出演者に対し、

いつも愛を配っているという話だ。

いつもゲストや出演者対して、

「愛しているよ」よ言うらしい。

口で言うのは簡単だ。

それは本当の愛ではない。

本当に国分を愛しているのであれば、

なぜ注意することができない。

もう何年も一緒に番組をしているはずだ。

江原さんにしてもそうだ。

どうして、

年下である司会者の国分君が、

毎回毎回とんでもない敬語を使って、

または使えずに話している姿を見て、

どうして直してあげないのか。

私には考えられない話だ。

もし、本当にその相手を愛しているのであれば、

その人が馬鹿にされるような、

または間違ったことをしていたら、

注意して、教えるのが本当の愛ではないのか。

江原さんにしても、

どこかで、国分君を馬鹿にしているのが見えるし、

また、霊的真理を説くことを仕事にしているのであれば、

国分君に収録の後にでも、

ここの敬語の使い方が間違っていたよとか、

教えてあげれば良いはずなのに、

ちっともスピリチュアルでもなんでもない。

結局目に見えるものしか相手にしていない気がする。

国分君の敬語を直してあげることで、

それを見ている若者も、敬語を覚えることができるであろう。

真理を伝えようとしている番組の中で、

このまま誤った使い方をし続けていたとするのであるなら、

それは多大な損害を国民に与えることになるだろう。

だから、

何度も言うように、

大それた番組名をつけたり、

偉そうなことを言うもんじゃないと言っているのだ。

爆笑~~という番組ほど、

一度も笑えないようなつまらない番組が多いように、

真理を説くとか、そういう大それたことを謳うから、

このような始末になる。

ただのバラエティですよと、

この際言ってしまえばいい。

前世がどうとか、

おもしろおかしく言っているだけですと。

江原さんは、

神主を辞められて、

この世界に入ったのも、

一人でも多くの人に霊的真理を伝え、

人々の魂を救うと誓ったからではないか。

にもかかわらず、

一体何をしているのだ。

だから私は、

最近のオーラは、

もう昔の頃のような純粋さは感じられないし、

霊的真理もほど遠くなっていると思っている。

それもこれも、

テレビ慣れし、

金ががっぽり入ると、

人は歯車が狂い始めるのだなと、

証明してくれたような番組でもあった。

救う道があるとするのであれば、

ただ、

「待つ」ことだろう。

待てるかどうかにかかっているだろう。

視聴者も出演者も。

そして、

江原さんや番組スタッフのレベルがあがることが、

この先あるとするのであれば、

またひとつ伝説的な番組ができ、

人々に貢献する番組ができるであろうが、

はたして、待てるであろうか、

ありとあらゆる人々は。

私は、

期待せずに待つだけである。

終わるときは理由があるから終わるのであろうし、

無理やり投書してここを直してくださいなどとも言わない。

神様の奏でる楽器になれるのであれば、

おのずと番組が変わっていくだろう。

欲にまみれ続けるのであれば、

自然と終わるだろう。

どちらにしても、

偉そうなことをいつも言っている人々が、

最近ではピエロのように見えてきて、

なんだか興ざめしながらも、

自分はこういう態度はとらないようにしようと、

肝に銘じながら、

未だに見ている次第です。

何を学ぶかは、

その人次第だから。

追伸。

ロザンナはおもろいおばさんだということが、

判明したことは、少しポイントだった(苦笑)。

|

マナカナ・銀座・オーラの泉

国分君の着物の似合わなさと、

美輪さんの腹の出方は、

後に回しておいて、

マナカナから。

姉ちゃんマナが、

2,3年後生きているかどうかわからない、

と泣いているシーンで、

それを初めて聞くカナの表情が、

とても面白かった。

まあ、それもおいておいて、

双子、

双子ですか。

前世でまた双子だったなんて、

あるんですね。

江原さんも初めて見たと言っていましたが、

んんん、

まあ、

私は見ることができないので、

あるのでしょうか、江原さんが言うのなら。

よっぽど念の強い双子の魂だったのでしょうね。

この二人、

今回のオーラを見るまでは、

全く興味もなく、

どちらがどちらか、全くわかりませんでしたが、

確かに、番組の後半にも言っていましたが、

前世の話をしはじめてから、

二人が個々の女性に見えてきて、

双子と意識しないように見えてきました。

不思議なものです。

結構人というのは、

こうあらねばならないという、

自分で作った、

もしくは環境によって作られた、

または、

強制された思い込みというのが、

多々あるようです。

こうあらねばならないなんてことは無く、

どう生きるかは自分で決めることですから、

人々の目や期待などは、

どうでも良いわけなのですが、

三つ子の魂百までではありませんが、

子供のころの思考回路というのは、

結構大人になっても生きているものです。

前世の記憶から、

マナが涙を流しだし、

各々を意識し始め理解し始めた時から、

動きも顔つきも変わるのですから、

不思議なものですね。

それが、

本来の自分というわけです。

美輪さんも、

それが自然体だと言っていましたが、

それが、

私が以前からこのブログで言っている、

自然体の重要性のことだったのです。

よく言った美輪と、思いました。

エドはるみにしても、

ベッキーにしても、

無理が顔に出ているんですよ。

言いかえるのであれば、

良く見られたいというオーラでしょうか。

言動が不自然で、

見ていて落ち着かないのですよ。

エビ蔵とか、福山とかも。

本来着飾らないでもいい、

自分の姿を堂々と生きていれば、

それは自然体になるわけです。

要するに、

魂の要求する方向へ、

身体を委ね、

自然と調和するような生き方をすると、

自然体になるわけで、

落ち着く訳です。

しかし、

自分を作って、

嘘で固めていくと、

それが、

わざとか、わざとではないかは別にして、

はたから見ると不自然で、

疲れる訳です。

気がつくと、

本人もとても疲れるわけです。

キムタクなんて、

自然体を演じている、

超不自然な男です。

しかし、

今の世の中の人は、

自然な人か、

不自然な人かを、

見分けることさえできなくなってしまっている。

たとえば、

清志郎。

彼は、

自然体の男ですよ。

しかし、

彼の自然体をきちんと見抜ける人は、

そうはいないわけです。

たとえばベッキー。

彼女の不自然さを見抜ける人も、

そうそういないのです。

善人悪人を言っているのではなく、

ただ単に、

魂に忠実かどうかを言っているだけです。

人によく思われたいとか、

イイカッコしようとか、

そういう思いがあるかないかが、

自然体か不自然かに見られる訳です。

今回のマナカナから私が学んだことは、

やはり不自然さというのは、

不自然なんだなと。

自分で演じている訳ではないのだけれども、

結局は演じていることが多いのだなと。

個々の魂を自分が理解した時から、

新しい生き方が始まるなと、

改めて思いました。

自分の人生、

なぜみんな、

もっと自分を生きないのだろうと、

特に思う毎日です。

一度きりの人生を、

なぜもっと、

自分の道を確かめながら、

人々に貢献する楽しみを見つけながら、

世の中をよくしようと考えながら、

生きないのだろうと。

何も考えずに生きている人間が多すぎる。

きっと次の選挙も民主党が勝って、

自民党と同じことやって、

何も変わらないことを、

世の中のアホは考えようとしない。

少数派こそ、真実だということを知らない。

さてさて、

マナカナは、

カナの方が鼻が広がっているということが、

わかったということで、

銀座のコーナーへ。

一言。

なんだこりゃ。

このコーナーいらねえ。

おもしろくもなんともねえ。

ん?

この番組スピリチュアルトーク番組じゃなかったけ?

ゲストにギャラを払うことを考えれば、

ロケに出させた方が安く済む。

番組側の考え丸見え。

いやー、

国分君があまりにも着物が似合って無くて、

びっくりしました。

帯の色、おかしい。

ちょっと大きいし。

帽子、

似合ってないぜ。

ステッキ、

問題外だぜ。

さて、みなさん、

なぜ似合わないかもうお分かりですか?

魂が、落ち着いていないからです。

着物は、

ふわふわした感情や、

ふわふわした魂では、

絶対に似合わないものなのです。

比べて、

洋服というものは、

下品な欧米人が誰でも似合うもので、

今の日本人は誰でも似合う訳です。

しかし、

この着物が似合う似合わないは、

その人の落ち着きによるものです。

もう少し国分君が落ち着いたら、

きっとその着物も、

板についてきますよ。

もっと、

男はどっしりしなくてはいかん。

美輪さん、

腹出てますなあ。

直視できないっす。

ロケに出たくない理由、わかりますよ。

さて、

問題のコーナーです。

エドはるみと江原さんの食べ歩き。

もう、

残念。

なんだ、こりゃ。

最悪ですよ。

スピリチュアル番組なんじゃないの?

霊性を高める番組なんじゃないの?

まあ、出ている人の霊性が低いから、

仕方ないけど、

でも江原さんは前回も書いたけど、

やっぱりこういうことはするべきではないですよ。

食べ歩きって。

世の中、

どれだけ食糧難で困っている人たちがいるか。

どれだけの人々が、

明日食べられないで息絶え絶えでいられるか。

お隣の近い国でも、

木の根を食べて生きていたりしている。

なぜ、銀座の食べ歩きなんてものを、

この番組ですることがあるのか。

また、

スピリチュアルカウンセラーなんて肩書きを付けている人が、

どうしてこんなことができるのか。

食べ物というのは、

自分がそれをいただくに値する価値がある人間かを考え、

それを作った人々、

太陽、水、土、大自然に感謝して、

そして、

自分の体の栄養の為に感謝していただくものだ。

お前らは、アホか。

そう、ここでついにお前ら呼ばわりですよ。

堪忍袋の緒が切れるという奴です。

もし、

ただの番組で、

江原さんもただのタレントだったら、

それは全然構わないと思うのです。

それがなんですか。

スピリチュアルカウンセラーが、

あんみつはパワーフードだ、だって。

ふう。

御自身の影響力が、

どれだけ絶大かを、

もっとお考えになられた方が、

良いかと思われます。

小豆がパワーフードだと紹介するならまだしも、

あんみつが、、、、だって。

もう、書くのもあほらしくなってきた。

エドについては問題外。

気持ち悪い。

そして、番組はレストランへ。

はい、

美輪さんの自慢話大会の始まり。

どうしても美輪さんは、

マナカナの収録の時もそうだったけど、

自慢話をしたくて仕方無いんだな。

いやー、

年取ってからの自慢話ほど、

聴くに堪えないものはないですね。

そうですね、

そうですね、と、

うんうんとうなずきながら、

嫌な顔をひとつしないで聴いてくれる、

若い男の人が、近くにいてくれるのでしょう。

そういう人にはいいかもしれませんが、

公衆の電波での自慢話は、

聴きたくありません。

そして、ダンスホールへ。

あああああ、

踊っちゃった。

結局、

そういう感じ。

オーラは、もうそろそろ終わった方がいい。

何がスピリチュアルトーク番組なんだか。

深夜の頃はもっとまともだったのに。

江原さんも随分テレビ慣れして、

汚染され、

ボロが出てきた。

困ったものだ。

私は、

国分君も江原さんも好きな分だけ、

なんだか残念だ。

どんどん下衆な番組になってきている。

謙虚に謙虚に。

謙虚に謙虚に。

自然体でね。

もっと、誰の為の番組かを、

考えてほしいです。

江原さんにしても、

美輪さんにしても、

番組製作者にしても。

|

白鵬・オーラの泉

おもしろかった。

純粋におもしろかった。

私が相撲好きということだからではない。

千代大海や琴欧州の時はつまらなかったから。

今回、面白かったのは、

やはり白鵬が、

横綱とは、

相撲とは、

をしっかり考えていて、

哲学的なことを持っていたことと、

彼の前世が、江戸時代の関取だったという

魂の流れが、純粋な面白さを出していたのだろう。

後の先という言葉を、

一体誰が教えたのだろう。

師匠だろうか。

はっきり言って、

日本人より武道を考えていると思った。

サラブレッドであることは間違いないが、

それでも横綱を、

横綱とは何かを突き詰めていく姿には、

とても感心した。

途中、美輪さんの自慢話が何度も入っていたが、

双葉山や、大鵬についても語る姿は、

面白かった。

明らかに今回のキャスティングは、

美輪さんの考え、意向だろうが、

細木数子と朝青龍に対しての、

宣戦布告だった。

美輪さんも、結構力士とは昔から親交があったらしいから、

近年の朝青龍の傍若無人な姿は目に余っていたのだろう。

何度も、細木数子の悪口は言っていたが、

「あんたの横綱は、そんなもんかもしれないが、

本当の横綱とはこういうものだ」と、

細木数子と、

朝青龍を応援している馬鹿な国民に対しての、

嫌味なメッセージであったように思える。

私も、美輪さんと同意見だが、

世の中、馬鹿ばっかりだから、

あまり相撲や、横綱とはとか、礼儀とはとか、

そんなこと考えていない人ばかりだから、

今回の放送がどういう効果をもたらすかはわからないが、

それなりに面白かった。

やはり、ファン太郎とは格が違う。

白鵬は謙虚で、いいやつだった。

まだ、若いから、

相撲に若さがたまに出るが、

間違いなく怪我さえなければ、

大横綱になっていくだろう。

横綱としても意識が高いから、

大丈夫だろうと思う。

それにしても、

美輪さんが明らかに途中居眠りしていた。

完全に映っていた。

江原さんのテレビ慣れしてきた発言と、

国分の敬語をつかえない様と、

美輪さんの自慢話は、たまにひっかかるが、

今回の白鵬の回は面白かった。

前回の石田純一とは大違いだった。

| | トラックバック (0)

霊的真理はいずこへ。

昨日5月30日のオーラを見て、

霊的真理は、一体どこへ行ってしまったのか、

そう思ってしまった。

月一の二時間枠に変わった第一回目として、

期待することなく見ていたが、

あまりも酷い内容に、がっかりした。

高額ギャラ二人を抱える番組としては、

二時間モノ月一にしたほうが、楽だ。

もちろん編集も。

しかし、内容はあまりにも薄っぺらかった。

石田純一に対しても、

江原さんは殆どなにも言わないし。

言ってもテレビだから編集されるというような、

そんな匂いがぷんぷんして、

深夜の頃のような、

核心を突く話など、もうぱったりとなくなった。

大体が、番宣や舞台宣伝などを兼ねた、

つまらないゲストのトーク番組になってしまった。

メインが終わったと思ったら、

次のコーナーは神楽坂を紹介する番組。

ひどすぎた。

まず、江原さんは、ご自身の著書でも、

さんざん、物質的生き方はいけないと言っている。

さんざん、物質的生き方から卒業しなければいけないと、

言っているにもかかわらず、

江原さんときたら、

自分で自分の帯を選びだしたり、

食事の後に、さらにあんまんに飛びついたりと、

もろ物質的生き方をテレビで公開していた。

いや、江原さんだって人間だ。

決して神様ではない。

そんなことはわかっている。

でも、

一回自分の著書やテレビで、

霊的真理を説く、

それが自分の使命だと公言しているのだから、

プライベートは何をしていても構わないが、

テレビの前だけは、

慎んだ方がいい。

良い帯があったとしても、

そんなものは今選ぶことではない。

国分に、こういう着物がありますよとか、

紹介を上手にしていけばいい。

自分のものを買おうなんてテレビで言わないで、

国分の為に着物から帯から下駄から、

すべて一式婚約祝いとして選んであげるコーナーでも、

良いではないか。

それを、何を自分の帯を選んでいるだ。

しかも、一度ウナギを食べた後に、

別腹とか言って、大きなあんまんを頬張る姿。

欲の塊ですか。

食いしん坊なのは見てわかりますよ。

しかし、

江原さんだからこそ、

そこは売りにしてはいけないのです。

そのキャラは石ちゃんとかに任せておけばいい訳で、

あくまで、

霊的真理を伝えるというオーラの泉という番組なのだから、

物質に囚われてはいけないと思うのです。

北朝鮮でも、

アフリカでも、

毎日を飢餓で苦しんで死んでいく人々がいるわけです。

それをなんですか。

高級なうなぎを食べた後に、また食事に食いつくという行為は。

食への冒涜ですよ。

私が言いたいのは、

霊的真理を一度でも説くと決めたからには、

またそれを職業としているからには、

それを実行していかなくては意味がないということです。

江原さんだからこそ、

影響力があるからこそ、

そこで、真摯な態度で臨まなくてはいけないのに、

欲にまみれて、

欲にのまれていては、

話にならないのですよ。

私は江原さんが好きですから、

有能な霊能の持ち主だと思いますし、

社会への貢献もしていると思います。

立場上、とても大変な立場だと思います。

しかし、それを選んだのは、

誰でもない、

御自身なのですから、

やるからには、

きちんと最後までやりとおさなければいけないと思うのです。

それが霊的真理を説いていく者の使命だと思うのです。

それが嫌で、

できないのであれば、

スピリチュアルカウンセラーという肩書は、

もうつけるべきではないでしょう。

江原さんはテレビという低級霊の温床の場に、

随分長いこといますから、

最初のころとは違い、だいぶ波長が下がった気がします。

残念です。

長いものには巻かれろ精神が見えます。

それでも、なお、

霊的真理を普及させる江原さんは応援したいですし、

大変なお仕事に頭下がる思いです。

だからこそ、

却下照顧。

私自身も、

偉そうなことは言えない、

そうあらねばならないと思う次第です。

そして国分。

いつになった君は、

敬語が話せるようになるのだ。

それを誰か注意してあげたらと思います。

| | トラックバック (0)

オーラの泉・85歳の助産師

和歌山県田辺市の助産師、坂本フジエさん。

年齢は85歳。

本当に、仏様のような方だった。

フジエさんに、お産を助けてもらえる家族は、

幸せな家族だと思った。

絶対に病院にはない、

心のこもったお産。

フジエさんは、

「念力は千里を走る」と仰った。

また、

「生かされて、させられている」と、

仰っていた。

完全に、俗世間から離れたお方の言葉だ。

真理をついている。

このような、

神様に守られながら仕事をして、

生きておられる方というのは、

とても人相が良い。

このような仏様のような助産師さんに、

弟子入りしている方は、

本当に幸運の方だろう。

とても感動した。

国民栄誉賞ものだ。

頭をいくら下げても足りないくらいの、

仕事ぶり。

フジエさん、お身体をどうぞお大事にされてください。

素晴らしい方でした。

| | トラックバック (0)

はるな愛・オーラの泉

率直に、

面白かった。

見終わった後に、

なぜ面白かったのか考えてみた。

そこに出てきたのは、

番組的に成立していたからだと思った。

はるな愛の純粋さが、良かったのだと思う。

ちょっと霊感があるとか言っている芸能人や、

生意気なガキ芸能人や、

ナルシストきもわる芸能人がゲストの時は、

この番組は見れたものではない。

番組として成立していないからだ。

スピリチュアルトーク番組とうたっている、

ただの下世話なバラエティーになってしまうからだ。

しかし、今回のはるな愛の回は、

良かった。

教科書的な内容だったと思う。

それは、はるな愛が、

男でもあり、女でもあり、

両方を持っている、

一人の人間としての回だったからだろう。

純粋さから出てくる、

嫌みの無さが、とても見ていて気持ち良かった。

人間は誰でも、

至らない点ばかりだ。

それをはるな愛は素直に受け止めて、

反省につなげていた。

人は、その連続で良いと思う。

素直さを持っていれば、

いつでも人は向上できるものだ。

しかし、人をうがった眼で見たり、

アドバイスを聞いているふりだったり、

頑固に自分の意見を曲げなかったりと、

素直ではない人間は、決して進化できない。

同じ線の上を、

変わりばえのしない景色の中、

だらだら回っているだけだ。

はるな愛は、純粋にアドバイスを聞いていたし、

反省に活かしていた。

人はそれで良いのだと思う。

その繰り返しが、

自分を成長させるのだと思う。

いじめについてや、

お金の話、

性別の話、

家族の話、

性別を超えた話だったから、

面白かったのだろう。

「蛇の道は蛇」と

美輪さんが言っていたが、

今回も美輪さんの話はわかりやすかった。

まさに蛇の道は蛇から出てくる、

先輩の意見だった。

結論。

ゲストが素直だと、

見ている方も、すんなりと見ることができる。

ゲストがキモワルイと、

内容がめちゃくちゃになる。

今回のはるな愛は、

誰もがあてはまる、

お手本的な内容で、

面白かった。

はるな愛に、

拍手。

| | トラックバック (0)

奥菜恵・オーラの泉

この人、人相変わったなあ。

一番初めの感想。

なんだか、美人な人だと思っていたのに、

なんだか貧相になったなあ。

とり憑かれた顔してるなあと思いました。

霊的なことを知っている人の回の方が、

番組は面白い。

今回は、結構面白かった。

この人、

頑固だなあ。

顔にも態度にも言葉にも出ていた。

霊感のある知り合いと、

喧嘩したんですって。

喧嘩。

大人になって、

人とケンカ別れしますかね。

江原さんや美輪さんの話の時に、

この人、

「ハイ」ってまず初めに言わないんですよ。

必ず「ウン」なんですよ。

人の話を聞くときに、

「ウン」って、何だよ。

ウンて。

ましてや年上に対して。

こういう人と言うのは、

腹の中で、「私はそうは思わない」と、

考えているにも関わらず、

一応返事しているタイプなんですよ。

でも、本当ならカラ返事でも、

「ハイ」と言えるはずなんです。

それがなぜ言えないかと言うと、

頑固なんだからなんです。

頑固な人は、

自分の感情を曲げない。

隠せない。

だから、結局、

「ウン」となるわけです。

この人、霊感あると、言っていましたが、

でも、霊的真理とはほど遠い人でした。

江原さんが、

「どうしたいの?」とおっしゃっていましたが、

本当に「だからどうしたいの?」と思いました。

霊感なんてものは、

はっきり言って、

人の役にたたせなくては、

クソの役にもたたないものです。

霊感は、

人の役にたててこそ初めて意味があるのです。

それがただのオカルト好きになってしまっては、

低級霊に支配されて、

この人みたいな顔になってしまうのです。

江原さんは理論構築が大事だと言っていましたが、

これはこの人には少しわかりにくかったと思います。

この人、理解していませんでしたよ、顔が。

もっと具体例を出さないと。

何のために生きるのか。

何のために、霊感を使うのか。

どのような生き方を、芯としてしっかりもっているか。

この現世で、生きていくために、

どう、人格を高めるか。

今回は、

美輪さんの話の方が、

とてもわかりやすかったです。

年の功。

今、我々が住んでいるのは、

あの世ではありませんよ。

この現世です。

この現世を生き抜くために、

自分がどう生きていくかが大事なんです。

現世で生きるために、

自分の哲学を高め、

人格を向上させ、

人々の役に立てる人間になる、

人々の役に立ちながら生きることが、

この現世で生きる意味です。

この人、

残念ながら、

自分の頑固さゆえに、

人のアドバイス、

頭に入ってきていませんでした。

霊感なんてものは、

修行しなければ、

意味ないのですよ。

コントロールできない霊感など、

障害以外の何物でもありません。

この人、

まず頑固さをとらないとね。

| | トラックバック (0)

間 寛平・オーラの泉

寛平ちゃんは、嫌みの無い、

純粋な人だなあ。

歳をとるたびに、良い顔になっている気がします。

アースマラソンは、

魂の起源を追う旅ですか。

なんだか、素晴らしいなあ。

大変だと思いますが、

そういう魂の旅は、

とてもかっこいいと思います。

男として。

ご家族は大変心配だと思いますが、

寛平ちゃんのことですから、

大丈夫でしょう。

今、オフィシャルブログを見たら、

現在地までわかるんですね。

ご家族にとってみれば、

安心ですね。

未浄化霊に負けないよう、

頑張ってください。

ご自身の魂の旅、

応援しています。

p.s.いつもながら、オーラの泉は

編集が粗い。

話がつながってない箇所がいくつもある。

もっと、視聴者をごまかさないような、

番組作りを願いたいものである。

枠があるかもしれないが、

もっと配慮できるはずだ。

話がぶつ切りになりすぎている。

| | トラックバック (0)

岸部四郎・オーラの泉

一週間前から楽しみにしていた、

岸部四郎の回。

ずいぶん前に、青森の木村先生の番組にも、

出ていた岸部四郎。

その時は、

「あなたは人に頼ってばっかりいる」と言われた。

さて、今回はどんな回になるのかと、

待ち望んでいた。

ぶっとんだ。

あまりのダメ人間ぶりに、

ぶっとんだ。

よくもまあ、あそこまでダメ人間でいられるものだ。

心の底から、

こいつはダメな奴だと思った。

ずるさが顔に出まくっている。

同情の余地など、全く無い。

かわいそうな人と思ってほしいかもしれないが、

ご愁傷様としか言いようがない。

哀れな人間だ。

人間、甘やかされて生きてくると、

ああいう人になってしまうという、

よい例だ。

いっつも誰かに頼り、

誰かのせいにし、

現実をみない。

感謝ができない。

思いやりがない。

あの人に、

江原さんも美輪さんも一生懸命、

説教していたが、

何も伝わっていないだろう。

何もわかっていないと思われる。

でも、とか、

だけど、とか、

そういう言い訳口答えをする人というのは、

本当に自分に甘えている人だ。

ああいう人に、説教しても、

右から左なのだ。

どうして、

亡くなった奥さんに感謝ができないのだろう。

自分のことばっかり考えている。

自分がかわいそうということばかり。

あんな情けない奴に、

尽くしてくれた奥さんに感謝できれば、

死ぬ気で頑張って生きるはずだ。

何が心臓が痛いだ。

世の中には、お前よりも大変な人は、

五万といるわ。

アホたれが。

いやー、

この岸部四郎。

あまりのひどさに、びっくりした。

ダメ人間が、ここまでくると、

もう、手の施しようがない。

行く末を、見守るしかないだろう。

それも彼の運命だ。

もう、見ていて、

そこで国分君、

グーで思いっきりデコでも殴ってやれ、

と思い増しましたよ。

そのハンチングの上から、

ゲンコツをどかんとしてやったほうがいい。

いや、

してもわからないだろうな。

彼に残された道は、

感謝の道を生きるということだ。

それができないのであれば、

もう、

無理だ。

そんなにダメ人間でも、

番組出させてもらってるじゃない。

CMだって出してもらっているじゃない。

感謝しろよ。

お前みたいなダメ人間を、

奥さんは一生懸命介護してくれたではないか。

どうして、奥さんのためにも、

必死になって生きれない?

残念な奴だ。

そして、

心底ずるい奴だ。

想像以上のダメ人間ぶりに、

ただただ呆れるのみの時間でした。

| | トラックバック (0)

辺見えみり・オーラの泉

どーもこの人、前から苦手だ。

何でだろう。

たぶん話し方が嫌いなんだな。

にやにや笑いながら、または人を馬鹿にしたような感じの、

話し方が苦手なんだな。

本人そんなつもりないと思うけど。

話し方一つで人に与える印象だいぶ変わるからな。

加藤茶の回と同じ感じだった。

血縁や縁ある人だけ大事にするという行為は、

非常に愛の少ない人のおこなうことだ。

慈悲の心とは、隔たりなく誰にでも行うものであり、

愛は誰にでも与えるものだ。

苦手な人、嫌いな人、自分に敵意を持っている人へ、

与える愛こそ本当の愛であり、

それはとても難しいことであるが、真実だ。

こういう人は、

自分の家族が死んだり、病気になった時は、

心配したり、悲しむが、

隣の家の人が死んでも、なんとも思わなかったり、

友人が病気になってもなんとも思わない人が多い。

とにかく異常なまでに、

家族にしか目を向けられないのだ。

家族だけ健康ならそれでいい。

家族だけ安心ならそれでいい。

そういう人が多い。

だから私は異常なまでに、

家族家族と言う人が嫌いだ。

家族は大事にして当たり前。

しかし、それ以上に、他人を大事にできない人は、

人から愛されることはない。

なぜなら、

その人が愛を与えられるのは家族だけであり、

他人などどうでもいいという考えが、

相手にも伝わるからだ。

与えない限り、

受けることはできない。

だから離婚したんですよ。

自分の家族だけ大事だから、そういうことになるのですよ。

それと、

まあ、

人なんてそんなものかなあと、いつも思うのですが、

どうしてそこまで「死」を忌み嫌うのか。

死は誰だって起こる真実ですよ。

私だって、

このブログ読んでいる人だって、

世の中の人、

いつかは必ず死ぬんですよ。

普段から、死というものに対して、

きちんとした死生観がないから、

慌てふためくのですよ。

もちろん誰だって、

最愛の人が亡くなったら悲しいですよ。

でも仕方ないことなんですよ。

誰だっていつか死ぬんですよ。

悲しんでいるのは、

自分が悲しんでいるだけであって、

死者は悲しんではいませんよ。

肉体の牢から解放され、

魂は向こうの世界で、喜んでいますよ。

故郷に帰れたと。

悲しんでいるのは、

勝手に自分が悲しんでいるだけですよ。

私は、学生の頃、友人が突然死にました。

もう、流れないというほど涙が出ました。

結構長い間、立ち直れませんでした。

しかし、

どんなに悲しんでも、友人は帰ってきませんよ。

それよりも、

誰もが起こる死を嫌うのではなくて、

受け入れて、

自分も死んだらそちらに行くという思いで、

今を一生懸命生きることの方が、

大事ですよ。

それが本当の供養ですよ。

辺見えみりなんて、

まだ、

じいさん死んでいないからね。

これから手術だなんて言っているんだから。

まだ死んでもいないのに、何をそんなに悲しむのか。

じいさん、今、必死に頑張っている最中ですよ。

応援するならまだしも、泣いてどうする。

しかも見ながら笑ってしまったのが、

まだじいさん死んでいないのに、

美輪さんも江原さんも、

もう死んだかのような口ぶりで話しているからおかしくて。

「おじいさんが、いい人連れてきてくれますよ」とか、

おいおい、

まだ生きてるっつうの、って笑ってしまいましたよ。

まだ死んでいないのに、

もう死んだあとのリハビリ行っているんだもの。

普通の人なら、怒るかもね。

私は同意見だから、そうですねと思いますが、

まだ、死んでいないっつうの(笑)。

これから手術だっつうの(笑)。

まあ、そんなわけで、

死というものを理解していない人は、

無駄に悲しみ、慌てふためくのですよ。

自分の死だって、必ずやってくるのですよ。

それを恐れてどうするのですか。

必要だから、死ぬんですよ。

自殺は論外として、

病気や事故で死ぬなら、それは寿命です。

今まで生きてきたことに感謝あるのみですよ。

辺見えみりであれば、

今までいっしょにいてくれたおじいちゃんに感謝のみですよ。

悲しいのは、

自分が悲しいだけ。

悲しむ暇があるなら、

じいさん見舞いに行って、話している方がずっとまともですよ。

死を理解できていないと、

また、

自分の家族だけを大事にしていると、

こういう結果になります。

人は必ず死ぬ。

親も子供も、

隣の家のおっさんも。

死は平等。

生の長さは関係ない。

ただ感謝があればそれでいい。

| | トラックバック (0)

昨日のオーラの泉

つまらん。

またまた、つまらん。

琴欧州関は別に悪くありませんよ、

番組の内容が、薄すぎるということです。

しかし、美輪さんは、

本当に自分のタイプの男性の時は、

キラキラしちゃってますもんね。

生き生きっていう感じです。

若い姉ちゃんがゲストの時なんて、

もう、目もあわせない、

ムッスリ、

目合わすときは、嫌味を言うときだけ。

人間らしい。

非常に、人間らしいですよ。

あると思います。

美輪さんは神様ではないですからね。

それで良いと思います。

それで良いと思っていらっしゃるなら。

国分君、

昨日は何か、飛ばしてましたね。

江原さんにも、がんがん言ってましたね。

仲が良くなってる証拠ですよね。

言葉づかい。

頑張って。

さて、内容。

薄っぺらすぎるわ。

全然、面白くなかった。

オーラの泉って、題名にもあるけど、

スピリチュアルトーク番組ではないのですか?

波乱万丈的な、回顧トーク番組になってますよ最近。

もっと、大関に勝負勘について聞くとか、

侍とは何か聞いてみるとか、

琴欧州関自身の、この世に生まれてきたお役目、

または相撲界でのお役目は何かとか、

相撲を通して、何を社会に貢献できるかとか、

考えればいくらでも霊性を高めるトークはできると思うのですが。

内容が、なんだかただのトーク番組ですよ。

料理がうまいとか、

別にどーでもいい質問ですよ。

50分という枠の中で、

どうしてもっとスピリチュアルな話が出来ないのであろう。

最近、ずっとそうだ。

ゲストを持ち上げる内容や、

自慢話、

過去の記憶、

そんなんばっかり。

どうだっていいよそんなの。

オーラの泉が当初良かったのは、

その人のお役目や、

どうすれば社会貢献できるかとか、

前世から来る癖をどう、理解し、今世に役立てるかとか、

または、呪を受けない方法とか、

生き方の格言とか、

オーラの色から考える、プラスの生き方とか、

そういうのが良かったわけじゃないですか。

つまらん。

いいんだよ、予言的なこと、

ちらっと言うとかそういうことはさ。

その人が、どれだけすごいとかそんなこともいらない。

向こうの世界では、肩書きや賛辞など意味がないのだから。

予言的なことをちらっと言って終わりではなく、

本当のスピリチュアリズムを、浸透させていってほしい。

人は、どう生きるべきか。

その人の今世の役目は何か。

それが醍醐味だと思うのですが。

まともな、内容。

やはり、深夜番組が、ゴールデンに出るとつまらなくなるという、

定説、

間違いないみたい。

なぜなら、

一般的な視聴者は、

鼻歌交じりで生きているような連中には、

本当のことは伝わらないから。

オリンピックにしてもそうだ。

メダルメダルって言う奴は、

パラリンピックを見ようともしない奴だ。

本当のことを皆、知らない。

無知は罪。

無知は罰。

何が大切か。

何が目的か。

一体、何人のメダリストが、

北京に落ちているゴミを、

拾うことができたであろう。

一体、何人のメダリストが、

四川で亡くなった人へ、

手を合わせることができたであろう。

一体、何人の日本国民が、

人々の幸せを祈り、

自分の生きる道を、日々考えているのだろう。

人は人。

なんだか、世の中、

嘘がまかりとおっていて、

薄っぺらい会話が多すぎて、

本当に、

なさけない。

| | トラックバック (0)

加藤茶・オーラの泉

子供たちと相談して、

もう一度話してみようと思います。

そう言っていた。

前の奥さんがまだ、自分に気があるとは思っていなかった。

ですって。

今、戻ったところで、

何も変わりませんよ。

どうして、自分が入院している時に、

来てくれた人の気持ちがわからないのでしょう。

また、加藤さんは、

自分は血の繋がっていない人を入れる部屋がないということを、

きっぱりと

「そうです」

と即答していた。

もっと、内観しないと何も変わりませんよ。

今の自分が、

「向こうが気があるなら、戻ろうかな」

なんてことは、

全く意味をなしませんよ。

血縁にこだわるということは、

傲慢です。

こういう人は、

自分の家族は助かってほしい。

自分の家族は良い思いをしたい。

自分の家族だけ、守る。

そういう人です。

隣の家の人が死のうと、

友人が死のうと、

すべて他人ごとなんですよ。

血縁を大事にする人は、

本当の意味で、

利己主義です。

他人はどうでもいい。

よく多いのが、

「どうしてうちのお父さんが、病気になるの」

「どうしてうちの子が、こんな目に遭うの」

というやつ。

なら、隣の家の人が病気になればいいのですか?

他人なら、良いのですか?

そういうことです。

自分の小我から抜け出せない。

傲慢なのです。

前の奥さんが、献身的に助けてくれたではありませんか。

どうしてその愛に気づけないのですか?

かわいそうな人です。

もう少し、内観して、

本当に人を愛するとはどういうことかを、

考えないと、

何も変わらないと思います。

元に戻るときには、

本当の愛に気づけると良いですね。

| | トラックバック (0)

林家正蔵・オーラの泉

一言でいえば、

傲慢、そして、感謝がない人だと思った。

こぶ平は、こうテレビで言いました。

三平から声を奪い、しかも復帰してすぐにまた病気になり、

すぐに亡くなってしまったことに対して、

「神様に文句を言いたい」と。

どうしてこの人は、感謝ができないのだろう。

普通、右麻痺になったら、言語障害がかなり残りますよ。

しかも命も助けてもらって、

挙句の果てに、もう一度、落語が出来たではありませんか。

脳卒中で亡くなる人だって沢山いますよ。

または、若くして亡くなる人もいますし、

赤ちゃんで亡くなる子も沢山います。

50歳過ぎまで生かせてもらって、

脳卒中になったにもかかわらず、

言語障害まで乗り越えて落語ができて、

そのあと2年間も落語ができたではありませんか。

2年間も、こぶ平やら、家族やらとの時間を持たせていただいたではありませんか。

どうして、その、生かしていただいていることへ、

感謝ができずに、

神様に文句があるなどという、考えになってしまうのでしょう。

かわいそうな人です。

因果律は絶対ですよ。

病気になるのにも、必ず理由がある。

それに対して、神様に文句があるなんて言えるのは、

なんて傲慢。

正蔵の名前が泣いていますよ。

生きるも、死ぬも、

感謝ですよ。

生かしていただいていることへの感謝ですよ。

それができない人は、

いつまでたっても、成長できないと思っています。

| | トラックバック (0)

いしだ壱成・オーラの泉

久しぶりに面白かった、昨日のオーラの泉。

ゲストがまともだと、内容もまともになるんだな。

いしだ壱成は、私はあまり知らなかった。

知らなかったというより、好きじゃなかった。

未成年のドラマをやっていたころ、

生意気で、調子乗っていて、嫌な奴と思っていた。

しかし、昨日のオーラを見て、

彼はなんて純粋なんだろうと思った。

純粋が故に、悪の道へも入ってしまったし、

世の中のずるい人間どもに翻弄されてきたのだろう。

彼を見ていて、彼もまた、

環境でひきさかれた人生だなと思った。

しかし江原さんや美輪明宏は、

環境のせいにしてはいけないと、

自分で正しい道を歩めと言う。

自分で選択しなくてはいけないと。

本当に愛してくれる人を、見極めないといけないと。

江原さんも、幼くして両親を亡くしている。

だから、環境のせいにするなといいたかったのだろう。

よくわかる。

江原さんも、美輪さんも、言っていることは間違いなく正しいし、

それが正論だと思う。

それは100パーセント正しい。

だから、選ぶのは自分次第だということも正しい。

ただ、いしだ壱成の場合は、

父親に捨てられ、

わけのわからないヒッピーみたいな母親に育てられ、

そこは自由と謳った、地獄のような生活だったのではないか。

決して彼は地獄だととは思っていなかったと思う。

母親も大好きだったろう。

でも、それはそんな母親しかいなかったからであり、

そのような状況下で生きていかなくてはいけなかったからであり、

きちんと地に足のついた生活を小さい頃からされていれば、

教育されていれば、

ああはならなかったのではないか。

恒産無きものに、恒心無し。

本当に愛してくれる人を、

そのような状況下で育った人が見つけるのは

とても難しいことだと思う。

江原さんも、幼くして両親を亡くしたが、

まともな親に育てられたと思う。

短い時間だったが、

下町で愛情たっぷりのお母さんに育てられたと思う。

しかし、いしだ壱成は別だ。

幼くして父親に捨てられ、愛情をかけられず、

また自由人の母親に翻弄されて育った。

そのような幼少期を過ごして、

果たしてまともな愛のかたちを理解しろというほうが、

見極めろというほうが、少々酷な気がする。

それでも江原さんの言うことは間違いないことは確かだ。

どんな状況下でも、自分の人生を良くするのは自分次第であることは、

間違いない。

しかし、世の中には、まったく愛を知らずに過した、

人も多いのが事実だ。

だからDVや覚せい剤や、逃げたくても逃げれない状況で、

もがく人々が多いのだろう。

確かに、そのような人たちも自分で気づかなくてはいけない。

それは間違いない。

しかし、

気づき方を知らなければ、

気づけないのではないか。

オーラを見ていて、

いしだ壱成君は、理解できたかな?と思った。

そのときの江原さんや美輪さんの愛で、

涙は流れて、こころはあったかくなったけれど、

真理は理解できたであろうか。

私は、いしだ壱成君の状況下では、難しいだろうと思う。

また、10年間何もしていなかったけど愛していたというが、

どうして10年間何もしなかったのだろう。

見守る愛もあるだろうが、

「大丈夫か?」とか「元気か?」とか、

本当に愛していたのであれば、

一年に一度くらい、声かければいいのに。

それ以上に深い思慮があるのだろうか。

それは江原さんや美輪さんにしかわからない。

何か裏切られた感の感情が二人にあったのではないか。

ほんの少しでもあったのではないか。

真実の愛を受けたことのある人は、

真実の愛を見極められるだろう。

しかし、ゆがんだ愛の中で育った人は、

それを見極めるのは、至難の業であろう。

何はともあれ、

いしだ壱成君は、岐路であることは間違いない。

純粋が故、

だまされやすいだろうし、ずるい世界が生きにくいだろう。

それも彼の修行。

それが彼の修行。

人それぞれ受けたカリキュラムを、

生き抜くのが人生だろう。

昨日のオーラは久しぶりに面白かった。

残念なことに、

きっと国分君は、

ほとんど分かっていないだろう。

国分君には、

まだわからない世界だろう。

しかし、どうも最近、

オーラの泉には、謙虚さが足りない気がするが、

まあ、いい。

それを見ている私も、同等だから。

| | トラックバック (0)

最近のオーラの泉

つまらない。

どうしてこんなにつまらなくなってしまったのだろう。

ひとつに美輪明宏の俗的な話が増えたからだろう。

なんだか江原さんもそれにおされて、ちょっと俗的になった気がする。

テレビとは恐ろしい世界。

純粋ではやっていけないのでしょうか。

それにしてもこのあいだの、松田優作の妻はひどかった。

自慢したいだけか?という内容だった。

というか内容がまったくなかった。

ずっと狩野さんの時間の方が見ていてためになった。

もっと、前みたいにためになる番組であってほしい。

ちょっと最近俗的すぎる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)