夕日のヒヤシンス
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心を落ち着かせ、
怒り、
恐れ、
焦りを無くした時、
あなたの御先祖さん、
守護霊さんは、
とてつもない力を与えてくださる。
いつもお守りくださっているのに、
通信を遮っているのは、
いつも我々の方。
欲まみれが人間だから。
だからこそ、人の役にたつ人間になること。
落ち着き、
ゆっくり。
焦らず、
恐れず、
何も怒らず。
自然の心でいられるように。
通信をとぎらせないように。
壱日一分でも心がけることが大切。
人生の大一番の時こそ、
大切な心構え。
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たしかに、きっと今回も、
彼のリーダーシップが光るだろう。
彼の存在は大きいことは確かだ。
彼の力は勝利に貢献するだろう。
でも、
なぜ彼はあんなにも謙虚ではないのだろう。
謙虚という言葉からは程遠い人になっている。
若いころは可愛げがあったのにも関わらず、
メジャーに行ってからは、
それはそれは俺様イチローになってしまいました。
残念です。
私は、
スポーツマンというのは、
スポーツを通して、
その人の人間性を磨き、
その姿を人々に見せて感動させる仕事だと思っています。
正直、結果は二の次だと思っています。
確かに、
実力のない選手がいくら吠えても、
それは負け犬の遠吠えで説得力がないでしょう。
実力があってこその話だと思います。
スポーツをする一生懸命な姿と、
どんなに優れた結果を残しても傲慢にならない、
謙虚な心。
そういう姿が感動するのだと思いますし、
スポーツマンの姿だと思います。
今のスポーツマンというのは、
やたらめったら威張ってみたり、
ファッションだけいっちょ前だったり、
ウェディングドレスとか着ちゃったり、
タレント気どりだったり、
勝ってガッツポーズを恥ずかしくもなくしたり、
相手を罵倒したり、
俺様が一番だーという人ばかり。
しかし、そういう人を、
結構世の中のおバカな連中は、
好きだったりするのです。
これだけ日本人のレベルが下がっているのだなと感じます。
先日、王貞治さんのテレビを見ました。
なんて謙虚な人なのだろうと思いました。
さすが世界の王だと思いました。
王さんのお父さんは中国人ですが、
「自分は日本に住ませてもらっている」という気持ちで、
いたそうです。
そして王さんには、
「人の役に立てるように生きなさい」とおっしゃったそうです。
こんな素晴らしいご両親がいたからこそ、
王さんはいつも謙虚だったのでしょう。
彼こそ国民栄誉賞にまさしくふさわしい人です。
異論なし。
しかし、
イチロー君はじめ、今のスポーツ界は、
格好をつける事ばかり。
格好をつけるという行為が、
格好悪いということを知らないのですね、
今の人たちは。
格好をつけている人たちを、
また馬鹿な民衆はキャーキャー言います。
先日宮崎キャンプで
子供がイチローに向かって大きな声で、
「世界で一番尊敬してます」と大きな声で言いました。
イチローは振り返ることなく、
格好をつけた手で後ろ向きで挨拶。
この点に関して二つ。
一つ。
その子供は本当に馬鹿な奴だと思いました。
いや、その子供が悪いのではなく、
親や世の中が悪いのでしょう。
スター選手になればどんな横柄な態度をとっても、
許される、そんな教育をしているから、
彼を世界でいちばん尊敬できるなんて言えるのでしょう。
私は絶対に尊敬などできませんよ。
プレーはめちゃくちゃうまいと思います。
しかし、
人間的にはちょっと子供すぎます。
世の中が彼は偉い的な風潮があるから、
子供があんなことを恥ずかしくもなく言ってしまうのです。
もし私が親だったら、
「どんなにプレーがうまくても、
お金持ちでも、
威張ったり、格好をつけていたら、
その時点でとても格好悪いことなんだよ」と教えます。
二つ。
どうして、後ろ向いてちゃんと手を振ってあげないのだ。
確かに前からボールが来るかもしれない。
しかし、なんだその格好付けた手の上げ方は。
情けない。
1秒でも振り向いてやればいいのに。
偉くなったねイチロー様。
私は、スポーツ選手で威張っている人が、
大っきらいである。
また女子スポーツ選手で、
タレント気どりをする奴も、へどがでます。
何勘違いしてんの?と思います。
今のスポーツ選手に、
もう武士の心などないのでしょうか。
だから、
私は侍ジャパンという言葉が嫌いなのです。
全然侍ではありませんから。
侍は、
いつも死ぬ覚悟。
武家は、礼儀作法がとても厳しい。
韓国の選手は兵役免除がありますから、
死ぬ気で来ますよ。
しかし、今の日本人には、
本気の死ぬ気がない。
だから侍ジャパンなどという言葉は、
頭の悪い連中の使う言葉だ。
私は日本と野球が好きだから、
ただ単に、
WBC日本代表選手としか呼ばない。
そしてもちろん日本国を応援する。
しかし、勝つか負けるかが問題ではない。
必死になって戦う姿が見られれば、
それで満足なのだ。
謙虚に、
威張らず、
必死の、
勇姿を見せていただきたい。
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この人、人相変わったなあ。
一番初めの感想。
なんだか、美人な人だと思っていたのに、
なんだか貧相になったなあ。
とり憑かれた顔してるなあと思いました。
霊的なことを知っている人の回の方が、
番組は面白い。
今回は、結構面白かった。
この人、
頑固だなあ。
顔にも態度にも言葉にも出ていた。
霊感のある知り合いと、
喧嘩したんですって。
喧嘩。
大人になって、
人とケンカ別れしますかね。
江原さんや美輪さんの話の時に、
この人、
「ハイ」ってまず初めに言わないんですよ。
必ず「ウン」なんですよ。
人の話を聞くときに、
「ウン」って、何だよ。
ウンて。
ましてや年上に対して。
こういう人と言うのは、
腹の中で、「私はそうは思わない」と、
考えているにも関わらず、
一応返事しているタイプなんですよ。
でも、本当ならカラ返事でも、
「ハイ」と言えるはずなんです。
それがなぜ言えないかと言うと、
頑固なんだからなんです。
頑固な人は、
自分の感情を曲げない。
隠せない。
だから、結局、
「ウン」となるわけです。
この人、霊感あると、言っていましたが、
でも、霊的真理とはほど遠い人でした。
江原さんが、
「どうしたいの?」とおっしゃっていましたが、
本当に「だからどうしたいの?」と思いました。
霊感なんてものは、
はっきり言って、
人の役にたたせなくては、
クソの役にもたたないものです。
霊感は、
人の役にたててこそ初めて意味があるのです。
それがただのオカルト好きになってしまっては、
低級霊に支配されて、
この人みたいな顔になってしまうのです。
江原さんは理論構築が大事だと言っていましたが、
これはこの人には少しわかりにくかったと思います。
この人、理解していませんでしたよ、顔が。
もっと具体例を出さないと。
何のために生きるのか。
何のために、霊感を使うのか。
どのような生き方を、芯としてしっかりもっているか。
この現世で、生きていくために、
どう、人格を高めるか。
今回は、
美輪さんの話の方が、
とてもわかりやすかったです。
年の功。
今、我々が住んでいるのは、
あの世ではありませんよ。
この現世です。
この現世を生き抜くために、
自分がどう生きていくかが大事なんです。
現世で生きるために、
自分の哲学を高め、
人格を向上させ、
人々の役に立てる人間になる、
人々の役に立ちながら生きることが、
この現世で生きる意味です。
この人、
残念ながら、
自分の頑固さゆえに、
人のアドバイス、
頭に入ってきていませんでした。
霊感なんてものは、
修行しなければ、
意味ないのですよ。
コントロールできない霊感など、
障害以外の何物でもありません。
この人、
まず頑固さをとらないとね。
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野茂さんが、
オリックスのテクニカルコーチに就任したニュースには、
大きな驚きとともに、
私にはとても大きな喜びでもあった。
野茂さんは、
本当に偉大な人だ。
私は純粋にそう思う。
彼なしでは、
今の日本人のメジャーでの活躍はないと思っている。
テクニカルコーチとして、
彼の存在感はとても大きい。
彼がいるだけで、投手陣が締まる気がする。
数多くの修羅場を潜り抜けた男の醸し出す、
気とでも言おうか、
存在自体が、すでにもう、大御所である。
なぜ、彼に国民栄誉賞が贈られないのだろう。
本当に不思議だ。
高橋尚子がもらえて、
なぜ多大なる貢献をした野茂さんがもらえないのかが、
不思議なのだ。
いや、世の中、そんなものかもしれない。
野茂さんは、決してマスコミには媚びない。
笑顔もつくらない。
そういう人を、世間はあまり好みはしない。
でも、私からすれば、
男がやたらと喋るものではないと思っているし、
媚びへつらうのも美学に反する。
現役時代から、
彼は決していい訳をしない男だった。
そこがとにかく男らしかった。
決して威張らず、
ただ自分の道を歩いている気がした。
まさに、男だった。
今の、スポーツマンの中には、
そういう人がいない。
実力と男らしさが伴っている人がいない。
やたらと威張ってみたり、
俺様発言をしたり、
媚びてみたりと。
その点、
野茂さんは別格だ。
野茂英雄という男は、
男の中の男だ。
まだ、未練があると自分で言っていた。
そこがまた、男だ。
決して隠したりしない。
でも自分の大切にするものを、
きちんと大切にする。
私の予感では、
いつかまた再び、
豪快な真っすぐを、
投げ込む日が来るような気がしてならない。
そう、
いつもそう期待しているのかもしれない。
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なんで私が、
いしだ壱成について書いているのか、
正直よくわかりませんが、
いや、別に書かなくても良いのですが、
なんとなく、彼のブログを見たもので。
彼のブログには、
絶対負けねえとか、
絶対勝つとか、
やたらに書いてあるのですが、
もっと平常心になれないのかなあ。
負けねえとか、
絶対勝つとか書いてしまっている時点で、
もう勝負ありという感じがします。
男なら、
言い訳一切せず、
「現状況を反省し、
今後の活動に活かします。
ご迷惑をおかけいたしました。」
これだけで良いのですよ。
声上げて泣いたとか、
俺は負けねえとか、
そういうのは、
男が書くもんじゃない。
彼は、
子供なんだな。
もう、
いい年なのにな。
彼を応援しているわけでもなく、
悪く言う訳でもないのです、私は。
ただ、
一つの物事として、
そう、感じるのです。
言い訳や、
負け惜しみ、
強がりほど、
醜いものはない。
文章は感情的になればなるほど、
醜さが目立ちます。
今、報道されていることについて、
いつか真実を話せるときがくるかもしれない、
と、書いてありますが、
真実なんてものは、
そんなもの言わなくても良いのですよ。
結局、
自分の弁護をしたいから、
そういう言葉になるわけです。
何もしなくて良いのです。
すべては神様ご照覧の下なのですから。
神様が自分に与えてくださった試練と書いてありますが、
それは聞こえの良い言葉で、
ただ単に、
自業自得、
因果応報、
自分のしたことが還ってきただけです。
確かにそれは試練でしょうが、
はたから見れば、
そんなことは言われなくても良い訳です。
今、大変な時期、状況だとは思いますが、
こういう時こそ、
その人の資質が出る訳です。
何も語らず、
自己弁護せず、
反省して生きていけば、
そのうちもう一度舞台に立てますよ。
男は、
言い訳をしない。
江原さんも、
こういうことを具体的にアドバイスすれば、
違ったと思うのですがね。
男は言い訳をするなとか。
嘘はつくなとか。
まあ、どうでもいいっちゃあ、
どうでもいいことなんですが。
いしだ壱成くんかあ。
なんだか、痛々しいねえ。
不器用なんだな、生き方がね。
まあ、
大丈夫ですよ。
本気で反省して、頑張れば、
いつかまた舞台に立てますよ。
そう、焦らずに。
謙虚に謙虚に。
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この地上社会で出遭う、
悲しみ、
苦しみ、
痛み、
怒り。
すべては、
魂の成長に必要な、
教訓である。
それを思えば、
すべての出来事は、
感謝に変わる。
愚痴を言う前に、
そこから何を学べるかを、
考える方が、
ずっと建設的である。
人生に無駄はない。
今置かれている、
あなたの苦しみの状況も、
すべては、あなたの魂に必要な、
教訓である。
ともに、
歩んでいきましょう。
決して、
艱難辛苦に怯むことなく。
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この地上の世の中と言うのは、
それはとても大変な世の中です。
魂の向上のために、
沢山の試練が待っている訳です。
乗り越えられない試練は、
決して与えられません。
その人が、
必ず努力と助けにより、
成し遂げられる魂と認められているからこそ、
その試練が与えられている訳です。
この世の地上というものは、
すべてが陰気で暗く、
侘しく感じられるものです。
そんな地上において、
人を元気づけるということが、
どれほど素晴らしいことでしょうか。
苦しんでいる人に手を差し伸べる、
困っている人に声をかける、
泣いている人に、ハンカチを出す。
この陰気な地上において、
元気づけることができさえすれば、
それだけであなたの人生は、
価値があったことになるのです。
人々を元気づけるという行為は、
霊的に、
それはとても素晴らしいことなのです。
とても価値のあることなのです。
自分が辛い時こそ、
人を元気づける勇気を、
持っていこうではありませんか。
自分が苦しい時こそ、
苦しんでいる人に、
元気を与えようと努力しようではありませんか。
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昨日、一昨日と、
警察の血というドラマを見ました。
警察と言うのは、
本当に汚い場所だと思っていましたが、
本当に汚い場所だなと。
再確認でした。
あのようなことが、
結構たくさんあるんだろうなと思って見ていたわけです。
そんなとき、ある本を思い出しました。
| 国会決議すら無視する警察権力、それを許す政治k・政府の責任を問う 島根・主婦ひき逃げ致死事件の真相 |
| 比留川洋 著 |
http://www.honnoizumi.co.jp/cargo/shop/03481.html
この間、鍼灸院に行った時に見つけた本で、
随分過激な本が置いてあるなあと思ったわけです。
そこで待ち時間にパラパラ見ていましたら、
これが本当にやばい内容でして。
先生に言って借りてきたわけです。
この本、読んでみたら、
そりゃ、日本の警察がどれほど悪人ぞろいか、
よくわかりますよ。
正義と言われるものは、
本当は悪魔だったりする。
悪魔だと言われているものが、
本当は天使だったりする。
真実は自分の魂で、
見極めなくてはならない。
世俗の善悪に、
騙されてはいけない。
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世の中には、本当に親切な人がいるものだ。
この人、どうしてこんなにも親切なんだと、
そう思える人が、生きていると何人かに出会う。
その度に、
自分も人に対して親切にしようと、思うのである。
自分が親切にされるということは、
その3倍は返していかないといけないと思っている。
いやですね、最近やたらとパソコンさんが、
Cドライブの空き容量が少なくなったからなんとかしろと、
言ってくるわけです。
うるせーなーと思っていたわけですが、
CDを焼こうと思った時に、
なんだかフォルダに空きがないとか、
うだうだ言われた訳です。
正直、パソコンのことは全くわかりません。
Ks電気で買ってきたパソコンをそのまま使っているだけです。
このブログも書き方がよくわからず、
いまだに、プロフィールとかほったらかしです。
わからないのだから仕方ありません。
ようやく、本題に戻しますと、
もうパソコンさんがうるさい訳です。
何にもしていないのに容量が少ないだなんだ言ってきまして。
もう、仕方ないから直そうと思ったわけです。
パソコンのことはパソコンに聞けということで、
ネットで調べたら、
なんだかすごい親切に書いてくれている人がいるわけで。
いやー、感心しましたよ。
この人、本当に丁寧だなあと。
↓この方です。dasaltewさんです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3278860.html
この人のおかげで、無事に問題点は解消できました。
有難い限りです。
恩返しに何ができるかと。
この人の健康を祈ろうと思いました。
今日はパソコンが速いです。
ありがたいです。
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世の中のすべての出来事は、
必ず原因があり、
結果があります。
それは、
寸分の狂いもなく、
必ず実行される、全宇宙を構成する摂理です。
法則があります。
自分がしたことは、
全部自分に必ず、
還ってきます。
良いことをしても、
還ってきますし、
悪いことをしても、
全部還ってくるわけです。
表現方法は変わります。
しかし、必ずそれ相応の、報いが、
寸分の狂いもなく働くのです。
それを、みなさんあまり知らない。
知らないから、
人が見ていなければ、
何をしてもいいということになる。
ばれなければいいやという、考えになる。
自分の発言行動思考は、
すべて還ってくるのです。
それを知っているか知っていないかで、
生き方が変わります。
そして、
物事には必ず埋め合わせがあり、
応報があります。
その計量は、
完璧な天秤によって起こるのです。
そのため、
人々の為に生きて、
たとえ、現世で犠牲的な生活を送っていたとしても、
魂が損をすることなど、
絶対にないのです。
それ相応の、応報があります。
また、
利己的に生きて、
たとえ目先の利益で得をしたと思っても、
利己的生活において、
魂の得など、
何一つありません。
それを知っていれば、
どれだけ自分勝手な生き方が馬鹿らしいかがわかります。
この世の中に生きている限り、
目的は、
あなたの魂の進化向上です。
今世だけ見て、
たとえそれが苦しかろうとも、
魂の喜びを考えることができれば、
すべては感謝に変わります。
全てに因果応報の法則が働きます。
自分の行いを、
顧みるのも、
良い反省になると思います。
お互い、進化向上を目指して、
人々の役に立てるよう頑張っていきましょう。
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ね、言ったでしょ?
前回オーラの泉でいしだ壱成が出た時に、
このブログで書いたのですが、
なんだかここ最近、やたらにいしだ壱成の記事のアクセスが、
急上昇してまして。
http://luckman.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_3f4e.html
↑これがそのブログ。
なんかあったの?と思っていたわけです。
そしてリンク元を見てみると、
いしだ壱成・二股交際発覚で謹慎というニュースに
たどり着きました。
なるほど。
だから、再びずいぶん前のブログのアクセス数が、
上がったのね。
皆さんの、熱が下がったようなので、
あえてここで再び。
前回のオーラのブログで書きましたが、
彼が真実の愛を見極めることは、
きっと難しいことだろうと書きました。
まともな家庭環境で育っていない中で、
真実の愛がなんだかなんて、
そんなことわかりませんよ。
江原さんは、
真実の愛を見極めることが大切だと、
最後にメッセージを送り、
抱きしめて、
いしだ壱成の涙の中、
番組は終わりましたが、
私は、きっとわかっていないだろうと思っていたのですが、
案の定。
親父が、石田純一ですよ。
そりゃ、まず無理ですって。
そして真実の愛を見極めろなんて言ったって、
その真実の愛を感じたことがないのだから、
わかるわけがない。
彼もまた、状況に引き裂かれた一人ですよ。
家庭環境の被害者みたいなものです。
しかし、だからと言って許されるわけありませんし、
同情の余地はないわけです。
彼はきっと、今が岐路だろうと書きましたが、
こうなってしまった現実は、
簡単に予想できたものでして、
残念でした。
オーラで変われたかなあと思っていたのですが、
彼が純粋な分だけ、
そう簡単には、人生うまくいかないわけです。
はっきり言って、
私はオーラでの江原さんと美輪さんのアドバイスは、
いかがなものかと思っていました。
霊的にどうであったかと。
なんだか二人とも裏切られた感を持ちながらの収録っぽくて、
ちょっと呆れた感を持ちながらの対応だった気がしたのです。
真実の愛を見極めろって、
そりゃ、無理な話でっせ。
親父が石田純一で、
おふくろさんがヒッピーですよ。
もし、私だったら、
「どんなことがあっても、
ズルイことをするな。
人様に嘘をつくな。
自分の魂に恥じることをするな。
それを日々実行していくことで、
真実の愛と言うものが、手に入れられる」
そう言います。
見極めろったって、
知らないんだから、そりゃ無理ですよ。
ちょっと傲慢ですよ、アドバイスが。
本人はそのやり方を知らないのだから、
男として、
人間として、
ずるいことは絶対にするなと、
嘘はつくなと。
それなら、いしだ壱成にもわかったと思うのです。
まあ、そんな偉そうなことを、
ここで私ごときが書いても仕方無いのですが、
本当のことは本当のことです。
そんなわけで、
いしだ壱成君、
死ぬまで罪を償い、
またどこかで一生懸命嘘をつかずに、
頑張って生き抜いてください。
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なぜ、朝青龍のガッツポーズが、
絶対にしてはいけない行為かということを書きます。
まず、大相撲というのは、
単なるスポーツ、格闘技ではないということです。
日本古来からの文化であり、
神事であるわけです。
しめ縄というものは、
そこが神聖な領域であることを示します。
初日に神様をお迎えし、
祀りごとをしてから大相撲が始まるわけです。
相撲は、スポーツではなく、
武道、相撲道であります。
新渡戸稲造は、武士道の中で、
日本は諸外国と比べ、
どうして宗教教育がないにもかかわらず、
国民は道徳的なのかというアメリカ人の問いに対し、
それは武士道があるからであると答えています。
武士道は、
神道の流れから、
仏教の教えを混ぜ、
儒教の道徳を組み込んだ、
日本人独特の哲学思想です。
言うならば、
ずるいことは絶対にしない、
相手を立てる、
相手を敬うといった、
本来日本人が最も美徳としている教えが、
組み込まれているものです。
相撲道は、武士道です。
神様への奉納として、
裸一つで取り組む訳です。
そこに穢れはないのです。
武士道である、相撲道は、
決してスポーツではありません。
勝った負けたが問題でもなく、
道という、生き方を問われている訳です。
ですから、私がこのブログでもいつも書いているように、
力士の良し悪しは、
単なる勝ち負けではなく、
その力士の生き様だと申しているのです。
それこそが大相撲であり、
日本国が国技として大事にしてきた、
文化なのです。
多くの日本人が、
このガッツポーズをしてはいけない意味が、
わかっていないようです。
ここに今の日本の、幼稚さがうかがえます。
日本人が日本人としての自覚の足りなさがうかがえます。
自分が生まれた国の文化を、
大事にできない民族は、
必ず滅びるのです。
アメリカ合衆国が良い例です。
インディアンを虐殺し、勝手に領土を広げ、
アフリカから黒人を奴隷として貨物船で運んで来て、
文化のかけらもない民族がアメリカ人です。
だから、今崩壊寸前なわけです。
中国が崩壊しかけているのも、
チベットなどのもともとの民族を大事にしないで、
漢民族が資本主義のもと、
やりたい放題やり始めた結果、
文化が崩壊し始め、
国が壊れ始めています。
相撲は、今、
本当に岐路に立っていると思います。
この、朝青龍のガッツポーズで、
岐路に立ったと言えます。
これを、国民が支持してしまった時点で、
もう、文化は崩壊し、
神事ではなくなるのです。
それを、国民が望むのだとすれば、
天変地異を覚悟し、
天災大飢饉大災害を受け入れ、
日本国が崩壊することを、
自分たちが招いたことだと思わなくてはいけません。
それを招いたのは自分たちであると。
日本国が滅びてもいい、
世界に誇る、日本文化を捨ててもいいという人々のみ、
このガッツポーズを受け入れてほしいと思います。
それぐらい、重大なことを、この横綱はしてしまったわけです。
しめ縄をしめた、横綱が、土俵の上でガッツポーズをしたわけです。
武士道とは、
相手を思いやる心です。
相手の家族を想い、
相手の家族の顔を思い浮かべて斬るのが、
武士です。
相手を倒してガッツポーズなんてものは、
絶対に日本の文化にはないのです。
以前、サッカーのサポーターについても書きました。
相手のサポーターに危害を加えたりするのは、
野蛮人のすることであり、
武士道の日本人がすることではないと。
そもそも日本人は、
あのような自分の強さを誇示したりする行為を、
恥じてきたものです。
勝っても負けても、
礼ができるのが日本人だったはずです。
この朝青龍を擁護する人は、
私は日本人ではないと思います。
もしくは、とても幼稚な魂だなと思う訳です。
親方衆もいけないと思います。
どうして、そういう行為がいけないのかと言うことを、
徹底して、力士に教育しなくてはいけないと思うのです。
ただの無知ですまされるものではありません。
事が起きてからでは遅いのです。
私は、あの白鵬に勝って、
ガッツポーズをした瞬間に、
土俵下の審判団が土俵に上がり、
朝青龍の首根っこを捕まえてでも、
引きずり下ろし、注意をしなければいけなかったと思います。
今の行為がなぜいけなかったのかということも、
土俵の上で、観客にも伝えなければいけなかったと思います。
そして、今の行為により、優勝を撤回し、
初場所の優勝力士は無しということにするべきだったと思います。
それぐらい、大変なことをしているということを、
審判団も考えるべきです。
もし、審判団がその行為を、
瞬間的に阻止し、注意したとすれば、
相撲協会の株も上がったと思います。
どちらにしても、
大相撲が、
ただの格闘技スポーツになるか、
きちんとした日本文化のままいられるか、
岐路に立たされています。
そして、
日本人の道徳心を、
今一度考えなおすべきだと思うのです。
相手を思い遣る日本の心、
美学、
どこにいってしまうのでしょうか。
故に、
朝青龍のガッツポーズは、
絶対に許されるものではないのです。
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